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2015年2月

2015年2月10日 (火)

春の考古学

 どなたさまもおはようございます。学芸研究員(考古学)の横田です。

 早いものでもう二月も半ばに差し掛かり、わが学院大も春季休暇に突入です。とはいえ仙台はまだまだ春には遠い、雪降る二月です。

 さて、春期休暇といえど学生暇なし、博物館も通常運営を続けております(開館日程の方は博物館のページを参照のこと)。今日も博物館には奈良から研究でお客様がいらっしゃる予定となっています。当館は「東北学院大学の各ゼミナールの研究成果発表の場」「学芸研究員養成の場」の他にも、各ゼミナールの研究活動を通して、各分野で様々な資料が所蔵されていますので、たびたび県内県外からも資料を見に来られる、研究成果を見に来られるという方々が在朝在野を問わず来てくださいます。実にありがたいことです。東北の学術情報発信源の一として、これからも活動に励んでいきます。

 ところでわが考古学辻ゼミナールの話ですが、夏は発掘、秋冬は前回ご紹介した通り報告書作りなどの室内作業、では春は何をするかというとこれまた発掘です。

 この春は県北・栗原市栗駒猿飛来山根に位置する鳥矢ヶ崎古墳群に属すると思われる小円墳の発掘調査を三月の中ごろから末にかけて行う予定です。今まではこの古墳群の本体について、数年がかり測量を続けて、昨春古墳群全体の測量図面を完成させました。

 この古墳群、近隣に古代の城柵の一つである伊治城があり、つまりは古代朝廷の一拠点があった地域なのですけれども、大きく見れば東北地方のど真ん中、蝦夷の国の中でもあったわけです。その中でこの古墳群は、昭和の時代に二基古墳が発掘され、古墳時代終末期に現れる蝦夷特有の墳墓形態と、朝廷の役人の証である帯金具や”蕨手刀”という刀剣の出土が確認されています。つまりは、「蝦夷の墓」に「朝廷に仕える役人」が葬られているということです。このことから、蝦夷の出で朝廷に仕え、後に中央の役人の横暴に反旗を翻し、多賀城焼き討ちを行った伊治公呰麻呂(これはりのきみ/いじのきみ・あざまろ)とその一族の墓地がここなのではないか、と一説には考えられています。なにしろ、多賀城焼き討ちという一大反乱に決起した後、呰麻呂の行方は正史に全く記載されていないのです。もしかすると、本拠地だった栗原の地で余生を過ごしたのかもしれませんね。

 現在まで、この古墳群の測量により、蝦夷の古墳特有の数々の特徴、例えば三日月形の周濠を古墳の半分にまで配した円墳の形態を確認しました。その他、発掘を受けたA‐1、A‐2号墳よりも、同じ丘陵の少し離れた尾根上にあるB号古墳群のものの方が規模が大きく、密集度も高いこと、またその正確な規模も確認することが出来ました。

 それで今春発掘する予定の小円墳なのですが、それは古墳群の主体部、A号古墳群、B号古墳群よりも少し丘陵を下った林の中、離れてぽつんとある一基になります。鳥矢ヶ崎古墳群(の主体部)自体は県指定史跡なので発掘するには県の許可が要りますし、史跡公園になっていますのでおいそれと掘ることはできませんが、件の一基はどうもその指定から外れているらしいのです。しかして、かつて東北大学の調査隊によって古墳であるとの判定を受けた、という旨が古墳そばの標杭に記されており、鳥矢ヶ崎古墳群に関連する古墳なのには間違いないと思われます。なぜ古墳群の指定を外れたのかは遠い昭和の謎ですが・・・・・・

 

 この発掘により、まだまだ知られていない古墳群の内実を解明してお伝えすることが出来ればな、と思います。しかして、内輪話ですが冬の発掘というのは、雪は降れば調査はできない、土は凍って掘りにくい、例えできたとしても厳寒の中重装備での発掘、更に宿舎での暖房も気を使わねば・・・・・・と何重苦なのです汗 でもそれも古墳群の調査解明のため、大きく言えば考古学が好きだからやる! この一点に尽きます。

 冬の土掘りは、昔は、墓穴などを掘るのに土を柔らかくするため、前夜から作業場所の上で火を焚いて凍らないようにする番勤めがあったと聞きます。本発掘では、そこまでの作業は安全面で行いませんが、今代初めての冬の本格的発掘になります。ので、心してかかる所存です。

 春ごろ、みなさんへ成果をお知らせできればな、と思います。

 では!

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